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Yamaha Blueの空の下 [moto]


目に痛いほどの蒼の日でした。

「ノリック メモリアルミーティング」に行ってきました。
ワタシの中の彼との思い出に区切りをつけるための儀式です。

前夜には少し雨も降ったみたいですが、当日は雲ひとつ無い快晴です。
また風も穏やかで文字通り好天に恵まれた日でした。

開場は「AM9:00~」だったのですが、「PM12:00」に全員で黙祷を行うという
ことでしたので、それにあわせてAM11:00ごろに着くよう行きました。
会場では縁の品の展示、彼の活躍をまとめたVTRの公開、グッズの販売が行われていました。

耐久レース嫌いだった彼が唯一参加した、今年の鈴鹿8耐で乗ったマシンです。

献花台の様子です。記帳もここで行われていました。
一番奥に見える大きな花は“福山雅治”さんからのものでした。
彼と福山さんは親交があったことが知られています。
福山さんは写真家として彼をモチーフに写真を撮ったこともありましたし、
スペインのGPでは彼と一緒にグリッドに立ったこともあります。
また会場で流されていたVTRの最後には『桜坂』が流れていました。

ライダー仲間の一人、“イトシン(伊藤真一)”さんがいらしていました。

彼のお父さまである“阿部光雄”さんと、最後に所属していたチーム『Y’S GEAR』
“伊藤巧”代表がご挨拶をしていました。
この後、会場全体で1分間の黙祷を捧げました。
葬儀のとき同様に、黙祷の間には彼の最後の愛機R1のエグゾーストノートが高らかに
響き渡っていました。

ワタシ、ここでやっと彼を想って涙が流れました。
「人が死んだら泣く」
やっとできました。

彼の名声が世界に轟いたあの日のアイテムが展示されていました。

彼は何度かヘルメットのデザインを変えていますが、彼を最も象徴するデザインは
このとき彼の命を守ったこの鈴鹿のときのヘルメットだと思います。

栄光の足跡。

歴代の愛機たち。

彼を語る上で最も大切な一台です。

彼の最後の相棒です。

彼の仕事場。
このスクリーン越しにどんな風景を観ていたのでしょう。

この日、伊藤代表が語ったエピソードのひとつですが、彼から送られてきた最後のメールには

『ダブルウィン狙いですよ。チャンピオン獲りに行きますから!』

とあったそうです。
彼は今年の全日本において、最終戦を前にランキング3位につけていました。
94年の鈴鹿におけるインタビューでカメラに向かって彼が言っていた。

『優勝』

の二文字。
96年の桜舞う鈴鹿で立った表彰台の頂点。

彼が叶えられなかった夢は、彼の意思を継いでいるNorick.Jrたちの中の誰かが
きっと叶えてくれるでしょう。
その時の空はきっと今日みたいな青空で、その空を見あげた時にワタシはきっと
この日の天気のように澄み渡る彼の笑顔を思い浮かべるのです。

2007.12.09:753拝

 


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コメント 9

自分もお台場へ行けばよかった…
と思うくらいダークブルーな出来事が…。
まぁそれは置いておいて、

たしか一昨年の全日本最終戦だったと思うのですが、お忍びみたいな感じでノリックがパドックへ挨拶に来ていました。
ウチのがノリックに気づき申し訳なさそうにサインをもらっていたらそれに気づいた人たちが一斉に集まってしまい列ができてしまいました。
でもノリックは嫌な顔ひとつせずにみんなにサインしたり写真におさまっていました。
初めて間近で見たノリックは予想とはまるで違う好青年でした。

ノリックが日本に帰ってきて一石を投じてくれた全日本、残されたライダー、ファンが良い環境になるよう努力し、やがて参戦するであろうノリックJrたちが夢を追いかけられる世界にしたいです。

長文申し訳ないです。
by (2007-12-09 21:10) 

うん、753さん、ショックでブログ、しばらくお休みしていたものね。私、ちょっと心配していたのよ。でも、いつの間にか元気な753節が帰ってきてくれてよかった。
by (2007-12-09 21:45) 

ken

僕は2輪のレースはあまり観ないのですが、
でもモータースポーツは大好きです。
子供の頃、大好きだったロニー・ピーターソンというF1ドライバーが
亡くなったとき、F1から興味がなくなりました。
その後、復活してセナが亡くなったとき、再びF1を観なくなりました。
思えば2人ともレース中に亡くなった人なので、本望と言えば本望。
ノリックはそうじゃなかっただけに悔いが残りますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
by ken (2007-12-11 16:12) 

和-nagomi

>のりドムさん、みさドムさん、こんばんは。
いかにも彼らしいエピソードですね。
ワタシは以前お話したとおり、もてぎでの初GPのときにパドックでサインをもらったのが初ノリックでした。
このときも嫌な顔一つせずに握手までしてもらいました。
鈴鹿でもバイク教室の先生をしている彼を見かけましたし、そんなときの彼はとても穏やかで、あのアグレッシブなライディングスタイルは想像つかないなぁと思ったことを覚えています。

彼はイメージでもある矢と流れ星のように駆け抜けていってしまいましたけど、彼の残した軌跡は決して失われてはならないものだと思います。
今年はどこにもレース観戦には行きませんでしたが、来年は筑波やもてぎのレースを観に行きたいと思います。
彼が天国から盛り上がっているかな?と気にしているでしょうからね。

長文コメは嬉しいです。
またお話聞かせてください m(_ _)m


>多夢さん、こんばんは。
さすがにあのときは切り替えるのに時間がかかりました。
速報をBlogに書いたことも果たして正しかったのか、考えましたし。
でもこのとき思ったこと、感じたことをかたちにできたのは良かったと
思っています。


>kenさん、こんばんは。
ロニー・ピーターソン、名前だけは聞いたことがあります。
「サイドウェイ・ロニー」のあだ名でも呼ばれていたんでしたっけ?
セナの死はワタシも覚えています。
どんなに激しいクラッシュでも、もうF1というものでは人が死なないと思って観ていましたのでそれはショックでした。
ワタシにとっては初めてのF1の死亡事故でしたから。

ノリックはもしかしたら日本におけるレース文化の将来を一番考えていたのかも知れません。
たとえマシンを降りたとしても、まだまだ彼がやろうとしていたことはたくさんあったのでしょう。
その思いをたくさんの人たちが少しずつでも分け合って、彼の思いを途切れさせないことが世界に名だたるマニュファクチャラーである日本がそれだけと見られないために必要なことだと思うのです。


>ab-ovoさん、けちゃっぷさん、nice!ありがとうございます。
by 和-nagomi (2007-12-11 20:22) 

てくてく

自分も行ってきました
by てくてく (2007-12-11 21:42) 

和-nagomi

てくてくさん、初めましていらっしゃいませ m(_ _)m
あの場で一緒に黙祷されたのですね。
哀しいセレモニーでしたが、あの空の色はワタシのココロにしっかりと
焼きつきました。
今度は楽しい記事でお話できると嬉しいです。
by 和-nagomi (2007-12-12 19:54) 

テトラ

初めまして。
ノリック、大好きなライダーでした。
レーサーとしても、もちろん超一流でしたが
彼の解説も最高でした。
毎日公道を走ってる身として、
今回の事故はやりきれない思いで一杯です。

ほんとに綺麗な空ですね。
by テトラ (2007-12-12 23:50) 

和-nagomi

テトラさん、初めましてこんばんは m(_ _)m
ワタシにとっても記憶にあるGPシーンとは彼を抜きでは語れないものです。
彼の事故は誰でも避けられないものであったというよりも、事故というものは
本来そういうものなんだなぁということを思い知らされた気がします。
彼が最後に残していったものはとても厳しいものでしたけど、ワタシも
オートバイに乗る時には常にココロのどこかに置いておきたい
かけがえの無いものだと思っています。

この日の空は本当に青かったです。
そして12月なのにほんのりと太陽の暖かさを感じる日だったのです。
泣きたくなるくらいの青空って本当にあるんだなぁと胸に焼きつけました。

今度は楽しい話題でお話できること嬉しいです。
nice!ありがとうございました。
by 和-nagomi (2007-12-14 20:52) 

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