I know~西の魔女が死んだ [cinema]
多分こういう経験をしたことのあるこって少なくなってきたんだろうなぁ。
ワタシ的大好きシアターの一つ、恵比寿ガーデンシネマ1にて観てきましたヨ!
予告やキャストを観るに、丁寧な仕上がりを期待していた作品です。
原作は未読なのですが、作品中に流れる空気や画の仕上がりはとても穏やかで
優しいものでした。
舞台は日本のはずですし、実際に撮影も清里で行なわれたとのことですが、
魔女の家は少し西洋童話のそれを想起させられます。
ですのでこの家の中と外ではすごい隔絶感が感じられます。
この隔たりこそがヒロインであるまいがその傷ついた心を再生させうる場所となるわけです。
そのまいが嫌う近所の粗野な住人にキム兄さんがキャスティングされているわけですが、
その効果は最後にどかんと来ます。
キム兄さんは決して器用な芝居をする人ではないのですが、この人の最大の魅力は
その寂しさの表れかたにあると思うのです。
そしてその寂しさを感じられず、見た目とその潔癖さでまいは彼を嫌うのですが、
これってこの年頃の女のこにとっては通過儀礼みたいなものだと思うんですよね。
だからまいは魔女の家を去ったあの日ではなく、魔女の死を聞いて訪れたあの日に
再び立つ力を得たのだと思うのです。
こういう大切なことって教えられるものではなく、本人が感じるものであるからこそ
伝えるのが難しいと思うのですが、でもそれに気付く機会が多ければ早く気付いて
ひとつ上のステップを上がることになるんじゃないかと思いました。
魔女はさまざまなことをまいと一緒に行ないます。
このやりとりは“教える”というよりも“伝える”という言葉の方がしっくりくる気がします。
ワタシもおばあちゃんっ子でしたので、祖母との思い出はたくさんあります。
もう亡くなって10数年経ちますけど、その思い出の中にワタシを形作る大切なピースが
いっぱいあるような気がします。
祖母は基より、父も母もワタシに教えるということはしませんでした。
ただワタシが興味を示したらできることなら一緒になってやってくれました。
どうも人に何かを教えることが苦手というのは家系的なものなのかも知れません ( ̄▽ ̄;
「年寄り笑うな行く道だ。若者笑うな来た道だ」
人は同じところに立って一緒の方向を見るだけで必要なものが伝わって行くのかも知れません。
野イチゴのジャムの作りかたもハーブの育てかたもシーツの洗濯も、魔女は教えたのではなく
伝えただけです。
そして伝えたものは次の世代に受け継がれていくと思うのです。
たとえ見た目は変わったとしてもその本質は変わらないままに。
魔女はそれを知っているのでしょう。
素敵な映画ですよね
おばあさんの人柄と自然が溢れる暖かい映像。
キム兄はインパクトありました!あの年頃の女の子だったら毛嫌いしちゃうでしょうね・・・確かに寂しさの感じる演技でした。不器用な人っているのですよね
「教える」というよりも「伝える」という言葉の方がしっくりきますね!
by Betty (2008-08-05 15:32)
◇Bettyさん、こんばんは (^▽^)/
予告編を観たときから期待値高めの作品だったのですが、それでも満足できました!
サチ・パーカーさんの日本語、外人過ぎず日本人過ぎずの塩梅がとても絶妙でした。
彼女がいなかったらこの映画、それだけで失敗作になってしまったのでは?
とまで思います (o>ロ<)o
キム兄さんの配役も絶妙でしたね。
おっしゃるとおり、あの年頃の女のこが最も苦手とする感じの人物ですものね。
でもラストでまいはきちんとあの哀しみを受け止めたのだと思うのです。
「教える」と「伝える」やはりこの使い分けにはこだわってしまいました。
でもそういって頂けて嬉しいです (≧▽≦)b
◇ミナモさん、nice!ありがとうございますっ!
by 和-nagomi (2008-08-05 23:11)